神経痛の顛末 2

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痛みにも慣れて  無料でカイロプラクティック  暗転  蜂針治療   韓国での治療  ゴールデンウィークに発散   テルミー  自強法  野口整体 玉川温泉与太物語3 韓国、自然学校

  痛みにも慣れて

 玉川温泉から帰ってから箱根の上湯に通った。その小さい風呂場で偶然、新倉さん紹介の湘南台の治療師に会った。腰が前に曲がらない時は後ろにそる運動を毎日してれば治ると教えてくれた。さっそくその場でうしろにそってみた。
「君はなかなかえらいね。いわれたらすぐ実行するから。たいがいの日とは言ってもやらないんだ。」と褒めた。
 ちょっと気になったので藤原整骨院で見てもらう。はれているので暖めないで静かにしていること、筋ははずれかかってはいるがはずれてはいないからとお金はとらなかった。玉川温泉で痛みはだいぶとれてはいたが温泉の熱でほてって、炎症になっているらしい。温泉で体の新陳代謝を促して血液は浄化されて痛みはやわらいだが、筋肉は暖め続けたために充血してはれている。藤原整骨院の治療ベットでまっすぐにして寝ると足がつっぱって痛かった。まだ当分かかりそう。
 それからは、腰痛バンドをきつくしめて、めちゃめちゃになっていた印刷所や、いろりの部屋をかたずけたりできるようになった。痛みを避けてゆっくりと動いた。車にも乗れるようになった。しかし、夜には痛みがでてつらかった。
 玉川温泉は家に帰ってからもどんどんよくなるんだと聞いた。確かに日一日と痛みはとれてきた。
 ちょうどその頃、テント劇団の風の旅団が藤沢で公演をやりたいけど、受け入れてくれる人がいない。石田しげさんから市川さんを紹介されたと頼ってきた。柳谷さんの協力で奥田公園に決まり、成功した。日の丸の旗を燃やし、昭和天皇の死を演じた。天皇制をまっこうから攻撃するエネルギーに同化して久々に燃えた。

 姫野さんがやっているキムチの販売は、ポラン広場の夢市場に卸すようになってがぜん忙しくなった。そんなある日、新聞広告にはいってきた、無料でカイロプラクティックの治療が受けられるというのを見た。
 チサンホテルの会場へ行ってみると、もう二〇人程が丸くなって椅子に座り、会員になっている人たちが順に治療を受けていた。初めての人はカードに名前等を書込み、説明を受ける。腰痛の解説が延々と続いた。
 人間が二本足で立つようになったのが腰痛の始まり。四足生活をしていれば腰痛なはならない。竹の棒を横に並べた上に寝ていればけんいん効果が生じ腰痛は治るが、寒くて風邪をひいた人がいる。これから紹介する布団は、中にビニールのクッションが巻いたものが竹のかわりにはいっているので夏は涼しく冬暖かい。梱包に使われているつぶすとプチプチと音がするやつ。それを直径八センチの円筒状に巻いて綿のかわりにしてあるものだ。 せいぜい五千円から一万円の品だ。要するにそれを五万円で買うと、こういう機会に無料で治療を受けられるということなのだ。
 まず中年の女性が「買います。」と言って、まっさきに治療をうけた。終わった後、買うのは主人に相談をしてからにしたいとと言い出した。
「そう言って買った人はいないよ。待っているほかの人に悪いじゃないか。どういうつもりなんだ」とすごまれた。やくざな治療師がしろうとさんを言いくるめてふとんを高い値段で買わせようとするものだった。本名を書かなかったら、ただどりしてやりたかった。最後までねばって簡単な治療を受けて帰ってきた。買わないで受けたせいか相当乱暴に扱われた。

 暗 転

 それから二、三日していきなり痛みがでた。夜、腰のあたりに激痛が走った。両腕をかかえられて、湘南中央病院へ行き、注射を頼んだ。問診の後、すぐ入院しなさいというのを振り切って、座薬をもらって帰ってきた。三〇センチの段差も越えられない程で寝返りをうつたび激痛がきた。とにかく安静にするしかないようだ。
 一二月一一日に中央病院に行ってから、一月いっぱいまでほとんど寝たきりだった。その間に藤原医院に二回行って治療をうけた。また筋がはずれていた。いや外されていたと言ったほうが当たっている。
 炎症が起こって筋肉が腫れた状態になる。痛みがでて動かすと痛い。さわると熱い。こんな時は冷やすほうがいい。あたためると炎症が進み、治りがおそくなると藤原医院では指導する。
 次第に痛みが収まって、又歩けるようになってきた。今度は慎重にしようとなるべく安静につとめた。
 韓国から有機農業団体が交流にきて、みんなを頼んで接待したひまわり園の会場にはいりきれないほどあつまった。韓国で治療したらどうかと誘ってくれた。
 その関係で知り合った、隠陽洞の宇野さんに指圧とはりをやってもらった。
「決してもんではいけないんです。」つぼを覚えて気持ちいいくらいの強さでおす。なんでもないようなことだが痛みがやわらぐ。
「はい立って見てください。どこがつっぱりますか。ここですね、ここをこうして推すとどうですか。」つぼだろうか押さえられると確かに楽になる。
「どうやって覚えたんですか。」
「しんきゅう学校ですよ。自分も腰痛がありましたからわかるんですよ。ここは痛いですね。こうやってね、反応を見てると楽しいんです。」
 なるほど治療法を勉強するのもいいかも知れない。健康雑誌の広告を見て、案内所を送ってもらうことにする。

 たおれたままにしていたアンテナを起こし、無線機を枕もとに置いてパーソナル無線に熱中した。ニックネーム流れ星という人と人生の話やいろっぽいの話しをするのが日課になった。急に、女の声で「ブレイク」がはいって色めき立った。
「ブレイクさん、どうぞ」
「はまのヨウコです。しもねた私も大好きなんですよう。私なんかパンティにくもの巣がはっちゃってる」と言ってきた。
「パンティの中にはってるの?」すぐには意味がわからなかった。
「ここ三カ月やってないからさあ、くもの巣がはってるのよ。」
[やり始めて何回目から感じるようになった?」
「うん五回目くらいからよくなった。」流れ星は20才で建築手伝い、彼女とわかれたばかり。さっそく藤沢の喫茶店で待ち合わせた。行ってみるとはまのヨウコは声のとおりの18才、髪の長いすらっとした娘だった。。酒を飲み始めたのを見計らって私は引き上げた。無線で知り合ってお手あてをやりに来てくれたん人や、キムチを買いに来てくれた人もいた。
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 蜂針治療

 韓国の自然美容研究家のイーチウンさんから、蜂針の先生を紹介されていたのを思いだした。藤沢市立石に住む養蜂家の橋本さんだ。電話をすると、すぐ会いにきてくれた。蜂針の治療をしてくれることになった。
 自宅の裏にプレハブのに診療室があった。ちいさな目の金網でつくった箱に蜜蜂が入っていた。皮膚抵抗を計る機械でつぼを確認、サインペンでし目印をつけてから、蜜蜂をピンセットでつまみだし、腹を指でつかんで尻から出たりひっこんだりしている針をピンセットでとり、つぼにさしていく。その場は痛いけれど確かに神経痛の痛みはやわらぐ。
 通っているうちに次第に少しづつ痛みがひいてきた。橋本さんはお金をとらずに何回でもやってくれた。とても有り難かった。

 韓国での治療

 四月二二日から五月一三日まで韓国へ行った。日本を案内した人に車で連れていってもらって、慶州で農家のおじさんで背骨矯正をしている人に三回治療を受けた。正座した後ろから抱きつくよう両手で抱え、膝で背骨を押して、ポキポキと音が出るだけの治療だけだが、あぐらをかけなかったのに三日後にはあぐらに座れた。長く立っていられなかったのがよくなってきた。背骨の一つが後ろに飛出していたようだったのもひっこんでいた。 自然美容家のイーチウンさんに真空浄血療法を何回かやってもらった。とても気持ちがいい。それで、一セット買って帰ってきた。瓶の中にアルコールを含ませ火を付けて皮膚にあてるとタコの吸盤のように吸い付く。悪い物が吸い出され、血行が良くなる。

 ゴールデンウィーク

 見渡して見れば、私達の年代は体の痛みが出る年代なのかも知れない。石田しげさんは、家族でバラコンバンドの世話になっていると言う。韓国から私が持ち帰った真空浄血療法のセットを、しげさんはいたく気にいり、「これがあれば女はいらない。」と言うしまつ。ぱっこんという愛称が定着していった。
 四月に池下さんが、マロニエ作業所を止めたのも、右腕の痛みからだし、陶芸家の大場さんも腰痛で、一時間位しか座っていられないと言う。
 しげさん、池下さんと私が集まるとまず神経痛の話。
「腰の方、最近どうなの?」
「まあまあ、あいかわらずってところかな。」
「玉川温泉行くんなら、早めに予約した方がいいんじゃない」
「私は腕がしびれて、夜も寝られないのよ。なんかいい方法ないかしら。」
「そうそう、びわの葉温灸があるからしてあげようか?」
「まずは、ぱっこんしてからにしようよ。気持ちいいからさあ。」
 まるで老人クラブの会話だ。
 そんな話で三日間も部屋にこもったままのこともあった。
 「あらまだいたの石田さん」と二日目に来たた池下さんが驚いた。そういう池下さんも明け方帰る。

 そもそもの発端は丹沢での大葬の礼に反対の会議である。何でそんな日に山にこもらなければならないのかわからないが、星野君がよびかけ人で七人が集まった。初対面の人もいたが、盛上がりようはすさまじく、朝まで飲み食い踊る。エスカルゴというきわめつけの踊りから爆竹まで飛びだす。ギャラリーの女性は平然と飲んでいた。予定していた池下さんが来れず、五月の連休に私のいる部屋のとなりにあるひまわり園でまたやろうという話しになった。丹沢からもどって私の部屋でごろごろしているとき、池下さんが指導員をしているマロニエ作業所から電話がかかった。桐山さんという女性からだ。いきなりすぐ来てくださいと言うのだ。
 劇団きまぐれ座のさわたり座長と江田氏と私の3人ですぐにギターをもってかけつけた。「外にはマロニエの花が風にゆれている。晴れ渡った空を雲が流れている。ああおれの心の中に咲いた一輪の花。今こうして風に吹かれて、幸せをかみしめている。夕暮れの町の明りが幼い記憶を呼ぶ。豆腐屋のラッパ、裸電球のあかり。人生楽ありゃ、楽ばかり。人生楽ありゃ、楽ばかり。えいえいえいえい。」「人生楽ありゃ楽ばかり」のフレーズの大合唱、歌と踊りで笑いころげた。みんなで輪になって座り、歌に合わせてイスラムの祈りのように身体を動かし床を叩いているちに全員が興奮してきた。手の不自由な桐山さんは足を使っているうちにひっくり返る。笑いが伝染しうずを巻き出した。この興奮は体験した人でないとわからないでしょう。
 五月の連休中は五日間にわたって、大宴会。一三人の熱気。さわたり君の掛声で星野、石田両氏がストリップ踊りをする。
「怪しげな、ロウソクと懐中電灯の光のなかに、照らしだされた、市川一座が贈る。御当地初の興行。信子市子が踊る。おれはなんて馬鹿なこといってんだ。」
 アルフィーの下間さんも皆勤賞だ。きまぐれ座のよだかさんも踊りまくり、はしゃぎにはしゃいだ。歌手の秋元薫氏のあざやかなギターの音が朝までたえなかった。あやしい照明や蝋燭の光の中で、裸になり、タイコをたたきぶったおれるまで歌い踊る。ビールの空き缶の山ができた。お湯をかぶり腹を火傷する人。ビールを買いに行って店の中で叫びだす人。熱狂的なゴールデンウイークだった。食事はいろりを囲んで、思い思いの料理を持ち寄って食べた。
 いきなりのぱっこんの洗礼にびっくりしたのは秋元氏。ヨーグルトのような形のびんの中にせっこうのようなものが塗ってあり、その中へアルコールをたらし、火をつけて体につける。負圧で皮膚をすい、血行を促し、楽になる。たこに吸われたような跡が残り、赤、紫、黒の色の違いで病状がわかる。石田しげさんが逗子の方でやったら評判がよかったそうだ。アルコールがこぼれて体に火がついた悲惨な人もいたと聞いた。
 とにかく、精神のリハビリと誰かが言ったように、この宴会は効果があった。そして新潟へも伝染していく。
 神経痛で寝ていた二年間のもやもやが一挙に爆発した形だ。死んだ気で騒ぎまくるのだ。
 心の窓を開けて、幸せ感じよう。
 ぱっこん、ギターを積み込んで六人のひさびさの自動車旅行、新潟の海でたきびを囲んで夜をすごした後、映画を撮っている阿賀の家へ転がりこんだ。
 飛び出すストリップ興行を監督はビデオに撮り始める。監督のズボンパンツを脱がされても平然と撮り続けるプロ根性。そのテープは阿賀の言えの秘蔵テープとしてお客さんへ公開されていると言う。
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 テルミー

 食生活研究会の真崎さんにイトウテルミーというのを紹介された。真崎さんの家に行くと裸で寝かされ、線香の太いのに火をつけたものをいれた万年筆のような金属の筒をで身体中を撫でてくれた。真崎さんは母親と同時代の年齢である。気持ちよいので、ひとセット買って貰うことにした。次の日は胃が小さくなったようでほとんど食欲が出なかった。 韓国にはテルミーを始め、民間療法の道具が結構あった。だいたい刺激による療法なので使っているうち刺激に鈍感になり利かなくなってくる。真空浄血療法も韓国で始めて受けたときは劇的に利いた。
 通信教育で整体術を習った。気功も本をみながら練習をした。
 両手を近付けて気感がでるまで集中したり、植物の気や宇宙の気を手のひらに感じたり。気感が出て来るとおもしろい。

 自強法

 自強法は石川県富山市の九十才になる堺政雄さんが始めた治療法だ。はがきで問い合わせると一回の治療と治療法の伝授で十万円。最後の弟子として教えると返事があった。迷ったあげく受けてみることにした。富山空港へ飛んだ。
 12月、飛行機の窓から見える雲の変化は美しかった。富山市の住宅街に堺さんの家があった。壁は厚い大谷石を使った家に一人暮らしだった。間もなくお手つだいの婦人がやってきた。いさっそく話が始まった。前橋市からきた気功治療をしている20代の男性と二人で最後の伝授を受けることになった。
「この年だから一度力を出すと、一ヶ月位は充電にかかる。もうやらないつもりでしたが、あなたがたが最後の伝授ですよ。」堺さんは自然治癒力の覚醒法を編み出した。
「病弱でしたから、天然の朝鮮人参を探して朝鮮へ渡りました。大正三年17才の時分でした。健康になりたい一心で野生動物の生き血も飲みました。猟をしていて弾を受けた動物がどういう動きをするのかを見ると、治そうとして自然に動きが起きているんですね。ああ、これだと思って研究しました。本来動物には自分で怪我や病気を治す能力を備わっていることがわかりました。それが人為的に妨げられ病気を引き起こす訳です。自強法はこの力を引き出す方法で、ある種の脳波によってスイッチが入るんです」
「ではまずやってみましょう。」
 正座をしたうしろに立った堺さんは指先に力をこめて後頭部から首背骨に沿ってポイントを押した。ひと通り押し終わると、背骨に向けてエネルギーを発射した。自然に身体が左右に揺れて来る。そのまま動きに身をまかせてる。自然に動きが止まったあと晴れ晴れとしてくる。
「これで私の脳波が、入った訳です。私の脳波を分け与えたわけですから、もう脳波が出ます。これから自信をもって根気よくやることです。では市川さん、この人にやってみて御覧なさい。」緊張しながらお手つだいさんにこころみた。
 前橋からきた人は首をかしげるばかりで動きは出なかった。
「身体の中は動いているのだから、外見上の動きは重要ではありません」
 堺さんに請われて前橋の人が、お手つだいさんを相手に気功治療の実演をした。始めて見る気功療法は、手の指を首と腰にあててじっとしてるという治療だった。お手つだいさんは気持ちがいいと言った。
「自強法は最高のものです。人間の心までも治していく力を秘めているんです。新興宗教とかでこの方法を使ってますよ。それからマジックライトです。」
 堺さんは箱に入った薬のようなものをっ畳みの上に置いた。
「農作物の研究していて私が発見したものです。ミネラル石を加工して、コロイド状のミネラルを水に溶いて与えると野菜がびっくりするほどよく育つ。家畜にあたえるよく食べて、元気に育つんです。身体はミネラルを要求しているんですが、コロイド状ミネラルの食品はないんです。二〇年前心臓を患って、死にかかったんですが、このミネラル石をそのまま食べてみたところ一〇年来の心臓病がピタッと治っちゃった。それから一万人の人が食べて効果が確認されているのです。」 
 マジックライトを買って帰ってきた。
 大和の駅前の中山整体療院に整体法のビデオがあると言うので見学ながら買いに行った。若い弟子が二、三人いて、ふとんにうつむきに寝た腰痛患者のももをひたすらもみほぐしていた。
 ここではまず正座して向き合いお互いに合掌しあうことから始める。こうすると格段に治療効果が上がる。初心者はソフトに、時間をかけてマッサージ効果もねらったほうが安全で気持ちがいいし効果もあると言う。
 横浜の整体学院にも見学に行った。だいたいカイロプラクティックのような治療法で、背骨や骨格、筋肉の調整を行う。技術さえあれば開業が可能である。たまたま中国の留学生で整体ができる人が学んでいた。

 野口整体

 食生活研究会の佐藤さんから、野口整体の活元会の話はだいぶ前に聞いていた。外出が楽になってきたので通い始めた。平日の午後に行われるため主婦ばかりである。
 故人の野口晴哉が創始者で気功ともいえるようだ。弟子がロウソクの炎を指先から出る気でゆらそうとしているのを見て、たしなめて、野口晴哉が手から出る気で消してしまったという話もある。藤沢団地の集会所で大野さんが指導している。
 丸く輪になって正座をして時節に合わせた話しを三十分した後、合掌行気をする。自然体で顔の前で合掌して呼吸を整える。手の平や指先で呼吸するようにしたりしてから、大野さんが一人づつ順番に前に座って手をかこうようにして回る。
 その後は活元運動に入る。みぞおちを押さえ、息を吐きながら身体を前に倒す。脇腹に手をおいて左右に身体をねじる。ねじきったところでハッと息をはく。息を吐きながら手を握って肘を曲げ後ろに引きハッと力を抜く。あくびが出始めたら両手を膝の上において、環境音楽を聞きながらポカーンとして身体が自然に動くのを待つ。
 人によっていろいろな動きが出てくる。大野さんは一人づつ後ろから手を身体に当てて一緒に動きながらリードしていく。うまく動くと身体の緊張が解けて、ぐっすり眠れる。 左手の手の平の中心に右手の指を近付けると、しびれたように感じる。それが少しずつ強くなった。二年やってる佐藤さんにいうと、「当たり前よう」と笑った。
 最後は愉気だ。床に横たわった人の脇に座り、背中や腰に両手をつけて合掌行気の要領で手で呼吸するようにする。やってもらうとなんとも気持ちがいい。手の当たっているところが熱いので驚いた。
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 玉川温泉与太物語3

 一年半ぶりに、高速バスで玉川温泉に向かった。秋山さんの計らいですんなり大部屋に入る。同室の静岡からきた人の息子が機動隊で、連合赤軍のあさま山荘で殉職した警官のことを浪曲にしたテ−プを持っていた。どうせおまえたちに聞かせてもしょうがないというのを頼んで聞かせてもらった。
 秋山さんも気功にこりだしていたのでラジウムを放射しているという北投石を手の平に近付けて計ってみたり。気功をやっている人に話しを聞いたりした。
 風呂場で手をかざしているとちょっと会わせたい人がいるので来ないかと誘われた。宇宙のメセージをパワーにしているグループで、気をいれたり除霊したりする集会を先生を中心に開いていると言う。私は素質があるから先生を助けて活動したらいいという。
 オームといいながら気を送る。宇宙からのメッセージを音楽にしたテープがあり会員だけしか聞いては行けないと言うのを聞かせてくれた。
 玉川はマイナスイオンが豊富だと言う。そのせいか気功にはとてもいい。敷地内の神社の木に向かって気の交換を試みるとバッチリいりきた。
 だれにでもにこにこやさしく声をかけている中年の女性がいた。まるで観音のようなイメージだった。
「どうですか。だいぶ顔いろがいいですね」と私にも声をかけた。
「ええ。どこが悪くて来てるんですか。」
「いまは悪いところはないんですよ」
「どうしてそうやってみんなにやさしくできるんですか?」
「私は、ここで長年苦しんだ病気が治ったんですよ。だから恩返しのつもりで来て、みなさんにできることをさせていただいているんです。」
「死線をさまよいましたよ私は、主治医が親戚をよびなさいって言うんです。子供達が泣いているんです。」
「なんの病気ですか、肝臓とかあっちこっち悪かったんです。もうだめだというとき、娘が『おかあさん死んじゃ駄目』って大声で叫んだんですよ。それから奇跡的に回復したんです。」

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 韓国、自然学校

 韓国でん本格的な治療が始まった。真空浄血療法の縁で、自然濃法を実践しながら自然医学の研究をしているグループに加わり、断食療法、生食療法、自然塩療法、ヨガ、気功などを体験した。一年に何回か全国から集まって勉強しあう自然学校は三泊四日の日程で会場を転々としながら開催される。私も日本で学んだものを披露して、とても喜ばれた。
 韓国では最近韓医学、日本で言うところの漢方医学が認められて、専門大学もでき、韓医師が誕生している。韓国語を勉強し、かたっぱしからその関係の本を読んで行くと、日本で出版されたものの翻訳が圧倒的に多いことに気がついた。
 グループを指導しているハン先生の家で断食に挑戦した。参考にされてる本は西式療法などの日本のものだった。そこには都会で傷ついた若者や、自然との調和を追及する男女十人ほどが共同生活をしている。日本にもこういう場所があったらいいなと思う。
 断食を始めて三日め、大便がでないとわかると、みんなで私に浣腸をしようと言うことになった。ぬるま湯と使いこんだ浣腸器が用意され、横になりお尻を露出した肛門に管が突っ込まれた。トイレにまでついてきて、ドバッとでたとたんに喚声が上がった。そのときからは兄弟同志のような親しみが生まれた。
 ある晩、始めてきた青年が中国語の医学書を持っていた。彼は日本式の導引術をまじめに実践している。その本はすべて漢字でハングル世代の彼等にはわかりにくいはずだ。私は漢字に強いので優越感を感じた。いつか中国の原書に挑戦してもいいかなと。中国へ行ってみようと思いはじめた。
 韓国への訪問回数は二十三回に及んだ。飽きもせず、治療をしてくれた自然学校の人たち。韓国農村の静かな風景が忘れられない。
 日本にいる間に天文館の劇団架空線の芝居に参加した。韓国と日本とを行ったり来たりする私を送って、迎えてくれた。芝居の当日は寒い中、舞台の裏で横になりながら頑張った。和田君の迫力に力づけられた。こうして多くの人の励ましに支えられまして今日までやって来ました。中国に通い、本格的に気功を勉強するようになると皆さんの善意に報いるために頑張ろう。私に力をくださいと祈ったのである。
 神経痛は私に苦しみとそれに打ち勝つ力を与えてくれた。まだ治った訳ではない。しかし痛みをもったまま生きる道を指し示した。
                              

この座骨神経痛を治したくて中国へ気功留学に旅立ったのは1991年だった。
それから気功一筋に6年ついにもう一生治らないのかとあきらめていた坐骨神経痛が治った。
命には別状はないとわかっていても痛みに負けてしまいそうだったとき、多くの人から教えられ励まされてここまで回復できた。
10年の間にいろいろなことがあったが、玉川温泉以来一緒に気功をやっていた秋山さんが96年になくなった。私が中国から持ち帰った冬虫夏草を飲んでいたのを思い出す。
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