健身気功紹介
21世紀をむかえようとする中国で法輪功問題が持ち上がりました。健康を願うのはどこの国でも同じですが、中国では、早朝、公園で運動をすることが習慣になっていました。どこの公園でもあらゆる団体、グループが所狭しと、旗を立て、看板をおいて音楽を流し、まるで、大学の新入生歓迎のキャンパスのような様相でした。
法輪功は会員数5000万人という最大級の組織力をほこり、創始者を頂点として、気功の普及と、法理の流布をおこなっていました。他にも全国組織を持った気功団体の数は多く、中国政府も危機を感じていたのです。1998年には国家健身気功功法審査委員会が招集され香功、華夏智能功、郭林新気功、元極功など(くわしくはこちら)を政府認定の健身気功として他の気功団体と一線を画します。
法輪功に小中学生までが参加するのは問題ということで、天津のある学校のPTAが動いたことに端を発し、法輪功に対する、政府の弾圧がはじまります。それに抗議して、1999年4月天安門周辺で1万人規模の座り込みが行われると、中国政府は、法輪功の非合法化を決定、1999年7月全国一斉に、指導者の逮捕にふみきります。創始者の李こうしは、オーストラリアへ逃げ、大量逮捕、拷問によって、中国全土から法輪功は姿を消します。その後も香港ではどうどうと行われ、台湾、欧米で、組織は存続し、北京での抗議の焼身自殺や単発的な動きが報じられました。
政府は全国組織を誇る、すべての気功団体に対して、危機意識をもっていましたので、中国、世界、中華などという名前を持った全国的組織を持つ気功団体すべてを解体させ、省、街単位の団体しか認めない方針を出し、反抗する者は残らず弾圧しました。
数年間、弾圧は続き、気功団体の出版物、CD、テープなどもすべて没収、販売を禁止、指定された病院内の医師による治療以外の気功的治療は厳罰にしました。
このことによって、気功グループは公園から姿を消しました。
それでも、公園には毎朝、人の波はおしよせます。香功、郭林新気功など1998年に健身気功に認定されていたものの一部は地域によって復活していますが、ほとんどの気功は太極拳、健康体操、社交ダンス、扇や剣を使った舞などに取って代わりました。
歴史を振り返ると1955年の政府内部の抗争、1966年から始まる文化大革命の10年間も気功に関わる人材はことごとく弾圧されました。
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