易筋経資料

易筋経の周辺
易筋経は分類上からは、古代功法です。
易筋経原文は禅宗の開祖達磨がインドから伝え、後の僧 般刺密諦が漢訳したものという説が有力ですが、清代の著作の中に「明朝1642年に天台紫凝道人が達磨の名を冠して創作したもの」という記述があるので、明代の創作で達磨の権威をかりたものという見方もあるようです。

易筋経は、現代中国では、その仏教的色彩を避けて、架式の名称「韋駄献杵第一勢」(韋駄が杵を捧げ持つ)を「搗杵糧」(杵で米をつく)としたように労働の動作を表現する名称に変更している場合があるのですが、いずれにしても仏教の僧侶の間で伝えられてきたものです。
現代中国で行われている易筋経をいくつか概観してみましょう。


中国推拿練功学より


  上海中医学院出版社の「中国推拿練功学」のなかでの易筋経はその筆頭になっています。

中国伝統医学には、漢方薬、鍼灸、推拿、気功などが含まれますが、気功だけが気を論じているではありません。中医学の基礎理論のなかで気の占める割合は極めてたかいのです。
 
 気は生命の本質であり、人体の各器官は体内を運行する気と血液の充実があってはじめて正常な生命活動が維持される。気血の循環が旺盛になれば身体は健康を保つことができると考えられています。
 中国で推拿とよんでいる中国整体を行なうには、相当な肉体的鍛練が必要と言われています。易筋経は推拿を行なう上で推奨される最も基本的な練功方法の一つでもあります。  

易筋経はわが国民間に伝わっている健身鍛練の方法である。これは中医骨傷科と推拿科の常用練功内容の一つである。易筋経における三字の解釈は、易は改変の意味、筋は筋腱、経は方法の意味である。主な作用は強筋壮骨である。
伝承によれば、易筋経は南北朝の達磨の創作である。達磨はインドから渡ってきた仏教家で禅宗の宗祖である。修業する僧侶たちの身体が弱いのを見て易筋経を考案した。現在伝わっているものは王祖源氏が少林寺で体得したものを後の人が整理したもので、異なる多くの派ができている。形は古代農民の労働の生活姿勢からきている。
古代から伝わる易筋経は十二節からなり、予備勢に続いて 韋駄献杵第一勢から始まる。その名の韋駄天は、仏教の護法神の一つで足の早いことで有名。唐代初めその事績が紹介されて以来寺院内に安置されるようになった。中国では多くは古代の武将の姿で金剛杵を手にして天殿の弥勒像の背後に釈迦牟尼仏と向き合って安置されている。
杵は米をつく道具または洗濯で衣類を叩く棍棒の意味だが、ここでは棍棒状の兵器を意味してる。韋駄が仏を敬い警護するため杵を捧げ持つという姿勢を模した形。


 第一勢 韋駄献杵 

 原文・・・・立身期正直、環拱平当胸。気定神皆斂、心澄貌亦恭

 意味はまっすぐに立ち、胸の位置で両手でボールを抱えるようにして構え、呼吸を静かに整え精神を集中、心を澄ませ表情を自然に端正にする。

予備姿勢

以下十二背勢まであり、五勢までは静功、以下は動功で構成されています。

1韋駄献杵第一勢、2韋駄献杵第二勢、3韋駄献杵第三勢、4摘星換斗勢、5倒曳(手へんあり)九牛尾勢、6出爪亮翅勢、7九鬼抜馬刀勢、8三盤落地勢、9青龍探爪勢、10臥虎捕食勢、11折躬勢、12 卓(手へんあり)尾勢



増演易筋洗髄内功図説より

清代には「内功図説」「内外功図説集要」など易筋経を含むものが相当多く著わされ内容もすこぶる豊富になっています。単行本もいくつか著され現代に伝えられています。

 清代の周術官の著作「増演易筋洗髄内功図説」を見てみましょう。現代で言えば「イラストで見る易筋経のすべて」といった題名になるのではないでしょうか。


著者の周術官は子供のころから多病で、漢方薬を10年以上服用したが一向によくならず、40歳になる頃には体力も限界になった。 
そんなとき、偶然少林神功の老師にあい功法を伝授された。後に「内功図説」も手に入れてその通り忠実に練功すると、順調に回復して仕事に精を出しても疲れなくなってきた。さらに官吏として赴任した先の通慧寺であった達磨直系の老師から、易筋経と洗髄経を授かった。
老師の教えの通り毎日練功を重ねて質実剛健な体になった。

 易筋経の易は陰陽八罫の易、筋は運動をつかさどる骨についている筋肉と筋。洗髄の洗は洗う。髄は情欲、体の汚れの意味を含んでいる。外形と内面は相互依存していて切り離すことはできない。同様に易筋経と洗髄経は表裏一体のもので、わけることはできない。
洗髄経は達磨の弟子慧可が翻訳したが易筋経は翻訳されずに少林寺に秘蔵されていた。唐代になってから僧 般刺密諦によって翻訳された。

「増演易筋洗髄内功図説」は18巻あり、300を越える姿勢と動きが絵で表わされ、解説がつけられている。呼吸、経絡などの説明もある。
現代に行われているいわゆる易筋経はその中で第十六巻 易筋洗髄支流範纂 韋駄勁十二勢として紹介されている。
この十六巻の内容は十二大勁が運力を、韋駄勁十二勢が易筋を、立式八段錦が運動血脈を、座式十二段錦が洗髄を主な目的として書かれている。

増演易筋洗髄内功図説によれば、易筋洗髄経 第十六巻 韋駄勁十二勢図説の中で易筋経の一部として
1韋駄献杵第一勢、2韋駄献杵第二勢、3韋駄献杵第三勢、4摘星換斗勢、5倒曳(手へんあり)九牛尾勢、6出爪亮翅勢、7九鬼抜馬刀勢、8三盤落地勢、9青龍探爪勢、10臥虎捕食勢、11折躬勢、12 卓(手へんあり)尾勢という名称順位です。  
清朝の「内功図説」でも全く同じです。



少林派達磨易筋経十二式


韋駄勁十二勢 韋駄献杵から始まる功法はいわゆる口訣(詩)によって伝えられてきたわけです。中国では数十年にわたってひたすら練功し続けた人の経験談が雑誌に載る。
中国気功1994年十二月号に朱修林という人の少林派達磨易筋経十二式というのがあります。

20年前 易筋経八段錦合刻 という木版本をを拳法の友人から手に入れた。図と文がそろっていて簡単明瞭に書かれた得難い一冊だった。ここに再録して私の経験を記す。
数年前から友人でもある周 拳師が達磨易筋経の第六勢 出爪亮し式を一般に公開を始めて多くの人に歓迎されている。
 峨嵋気功大師周潜川の「気功薬餌療法と救治偏差手術」の中にも少林達磨易筋経十二式が紹介されている。
この周潜川の内容は少林派と峨嵋派の伝統をまとめあげ、峨嵋十二庄の不足のところを補うものとなっている。古文体の易筋経をやさしい現代文に訳しながら完全に古代の養生家の哲理に符号しているところがすばらしい。
韋駄献杵第一勢を少林派の立式と足の型で比較すると、前者は外八の字、後者は箱型になっている。これは両者の気脈走行の違いである。韋駄献杵の外八の字型は三陰気脈、少林派の箱型は三陽経の走行を促進する。これは仏家、道家との練功の根本的相違である。
易筋経は上下二巻にわかれ達磨の創造である。伝承によれば、インドからわたってきた達磨は少林寺に落ち着いて禅宗を教えた。修業僧の体の弱いのを見た達磨は練功方法を創案した。静功と動功を備えたものだった。静功は代々伝わる間に変質して参話頭を重要視するものになった。
現代は動功を行なう者は動功だけ、静功を行なう者は静功だけというようになってしまい本来のものが失われていることは残念である。
現在流行している動功十二式は古来のものとはことなるが、どちらとも優劣はつけられない。信頼できる先師の指導を仰ぎながら、今日まで私がやってきた方法を紹介する。

第一式 韋駄献杵の口訣
これは第二式、三式と密接な関係がありこの3つが易筋経の基本であり、入門功である。まず心を平らかに気を静め精神を収斂する。人体本来持っている生理に合わせ気脈を運用する。動の中に静を貯え動と静が両立する。肺の気を調節して肺の機能が均衡状態になる。肺と手が気と意念とでつながって下方に伸び、肺はシリンダーのように機能し、全身の気の運行をコントロールする。
口訣を仔細に見ればおのずとわかる。口訣は以下のようである。
立身期正直、環拱手当胸。気定神皆斂、心澄貌亦恭。
この口訣の意味は体を端正にして直立、力は用いず全身放鬆。床にしっかり立つが、かかとで立ってはいけない。足元の気の発動によって力が発揮される。緊張してはいけない。足と足の間は35、6センチ。両足はそろって、足の内側の線が長方形を形成するようにする。
腰から背骨はまっすぐにたて、両肩の肩ぐう穴(肩の先端)がいくらか上に向く。ただし背骨は自然に伸びた状態で強制はしていない。
両眼は半分開いた状態。まっすぐ前方をみる。上を見ると気が上昇、下を見ると気が下がるので注意。
両手を自然に垂らし両側の太ももの横につける。両手を体の前をゆっくり上昇、両手のひらをむかいあわせてからゆっくり胸にむける。胸との間こぶし一つ分あけ停止、両手をだんちゅう穴(両乳の中心点)に相対させる。動作に呼吸をあわせ、気の動きと合致させることで気の運動が定まる。
両手を上昇させるときの手のひらの角度ははっきりしない、各自模索しながら行なってください。

ということで以下十二節まで続きます。

達磨易筋経十二式
林厚省編

林厚省編の少林派の達磨易筋経十二式から第一勢をみますと、口訣は同じですが、形はまるで違います。
両足の間をこぶしひとつあけて立ち、膝をのばして腹をひっこめる。頭と頸はまっすぐにして両眼は前方平行に視線。口と歯を合わせて、舌を上顎につける。
両手を体の脇から肘を曲げて挙げて、左手は手のひらを広げ指先を上に手のひらを右方向に向ける。胸との間はこぶし一つで胸の前にたてる。右手は手のひら下に向けて左の腕とは直角に指先を左方向に向け、へその高さにかまえる。視線を左手に向け心が静まったところで、呼吸を深くして鼻から吸い口から吐く。一呼吸を一回と数え三十回まで黙って数える。


楊潤華による経験を引用しましょう。


達磨老祖洗髄易筋経
私は北京で馬敬一老師について学んだ。それ以来人に教えることもなくずっと30年間練功を続けてきた。現在は党と国家の古代文化遺産の発掘整理の要請があるので、ここに発表して一般に提供するものである。
この功法は10の架式に分かれている。順次ゆっくりと始め、速度は次第に早く、低位から高位へ発展する。五臓六腑、関節、経絡、気血を鍛練できる。特に腰部が鍛練できる。経絡を通し、精髄を浄化し、気の運動を調整し、臓腑の陰陽の平衡が保たれる。
動作は腰を軸に、緩慢に柔和に瀟洒に自然に内勁を多用して、意念を強調せずに行なう。老若男女いずれにもあう。内外を同時に修練でき、内臓疾患、腰から足の疾病に治療効果がある。長期にわたっての練功は更にすぐれた効果がある。
初めて学ぶ者のために、私の30年の練功経験と理解を、伝統を曲げることなく10の架式にまとめ、名前を私が考案してここに発表する。
動作の強度角度は個人の体力条件に基ずいて決める。力の大小にかかわらず内勁を用いてこわばった力を用いてはならない。
一回に全部の動作をしてもよく、いくつかをとりだして行なってもよい。
功理
動功と静功に分かれているが、ここでは動功だけを紹介する。
動作の中に回転運動、伸展運動、腰をひねる運動、しゃごむ動作、腰を曲げる動作が多い。これによって人体の精髄と筋骨の鍛練作用が大きいのである。
このため骨の健康、髄の充実、気血の流通、筋絡の調整作用があり、精力が充実する。人体の腰部は精神状態にも影響し、内臓の健康にも関係がある。足腰の鍛練は内臓の鍛練にもなり、足腰の強さの源泉は腰部である。
祖国の医学では、腰は腎の腑、腎は先天の本であり、命門と腎の鍛練は、内臓全体を助けることになるという。腎は骨と髄に関係して、髄は脳と関係する。
腎気が充実すれば精神活動、精力も充実する。このように腰部の鍛練が重要なのである。
人は足から老いるというが、腰部と脚を鍛えることによって活力を補える。
この功法は、足腰だけではなく全身の運動でもあり、各関節、内臓器官の鍛練になり、呼吸との配合で練精化気、練気化血、練血化神の功力を持っている。
功法
予備式
体をまっすぐにして立ち、両手はふとももの脇に垂らす。心を澄ませ精神安定、気を丹田に収める。
動作要領:両足は間をあけないでそろえて、脚はまっすぐのにする。ほほ笑みをたたえ、舌先は上顎へつける。両目は平行に遠くを見る。何も思わず考えず心を空にして体はゆるめる。背を伸ばし肩は軽く前に落とし腹をへこませ意守丹田。深呼吸三回
吸気時意念で気を丹田に送る。深呼吸三回のあと続いて自然呼吸になる。
第一式  膝を屈して球をすくう
動作要領:ふとももにつけていた手を手首から曲げ指先を床と平行にして前方に向ける。その手を回して、手のひらを前に向けて腕をまっすぐにしたまま、体をまっすぐにしたままゆっくりと膝を曲げて下げていく。かかとはあがりつまさきで体重をささえる。両腕を伸ばしたまま前方にあげて行き、同時にかかとが床につき体も上に伸ばす。さらに腕が頭上に上がり、労宮が天を向く。
続けて両手は手のひらを下に向け体の前を下がり丹田の高さに手のひらを向かい合わせて球をいだくようにする。
三回繰り返す。
意念、水中から球をすくい挙げるようにして、腕は真っすぐではなく、腕全体が円のように力をぬいて行なう。下がるときは放鬆して丹田に導く。



易筋経原文より 要約  
総論
仏祖達磨太師の教えをこれから述べよう。正しく修業の成果を得るために、初めに重要な2つの観点がある。清虚と脱換である。心身を清虚にすれば修業するにあたって障害はなく、脱換になれば邪魔ものもなくなる。障害と邪魔がなくて初めて入定出定ができる。道を進にはそのための基になるものがある。すなわち清虚は洗髄によってのたらされ、脱換は易筋によって実現される。
まず洗髄について言おう。人は情欲を持って生きている。情欲は身体に影響し、臓腑、手足骨格ことごとく汚れに染まっている。さまげられず聖なる道に進むためには必ず洗浄を要する。
 だから洗髄は内面を清め易筋は外面をかためるといえる。もし内は清浄、外は堅固ならば聖域は目の前である。
 易筋についてさらに続けると、父母から受けた筋骨は、緩み、弛み、強度、ちじみ、麻痺、痙攣、発達、調和、力、伸びなどに種々違いがある。これは先天的な差であるが、もし内面が清浄でなく外面の筋も堅固になっていなくてどうして道にはいれようか。だからまず易筋によって筋骨を堅固にして内面の清浄化を助けるのである。ここでいう易筋の易は陰陽である。また変化の易である。実際、人の陰陽変化のことなのである。
 虚と実の変化、寒と暑の変化、剛と柔の変化、静と動の変化などは易である。
 筋は人体の経絡のようなである。骨格の外側筋肉の内側、全身にわたって筋、経絡のないところはない。全身を巡り血脈の通行をつかさどり、精神活動をたすけるもの。
手足の働き全身の活発な動きはみな筋によるものである。ゆるんだり、麻痺したり、弱っていては大変である。病気を容易によびこむ。
 達磨の方法によって筋の状態をよくし、弱っていれば強化し、弛みをとり、麻痺をなおし、縮んでいればが適度に伸ばす。汚れふやけた身を鉄石に変える方法である。
体に利益あり、聖の基となる。

膜論
 人身は内に五臓六腑外に四肢百骸、内に精気と神外に筋骨と肉があり一体となっている。臓腑、筋骨、筋肉、血脈、という順序である。全身を活発に動き回るものがある。気である。血気を養うのが大事である。この世の生きものはすべて陰陽に従っ
ている。精気神は無形、筋骨は有形のものである。
この法は無形のものを助けるため、まず有形のものを鍛練する。これは一は二、二は一ということである。無形のものばかり鍛練して有形のものを鍛練しないのは不可
である。有形のものばかり鍛練して無形のもを鍛練しないのはもっての他である。有形の身は無形の気を獲得しなければならない。相互に関連して形成される。
だから、練筋には練膜、練膜には練気が必要である。しかし練筋はやすく練膜はむずかしい。練気は更に難しい。  



洗髄経 序文
易筋、洗髄は東土の文章にあらずして、西方の妙諦なり。達磨祖師の伝授によりよの識るところとなり、ここに漢語に著わすものなり。祖師は慈悲をおおいに発揮して嵐の中を進み野に宿して遠路はるばる西方よりわが国に着けり。・・・・・・・・
暑さ寒さに耐えながら海を渡り幾多の山河を越えてきた旅の間にどれほどの多くの危険があったであろうかはかりしれない。何のためにか。
悲しいかな、大道の多岐は支離滅裂して、正しく識る者なく慧眼は没した。見渡せば諸教の学者はその本質を忘れ泥教を広めている。その源をきわめようという者はいない。高い山から見下ろせば霞も一望できる。道を携えた祖師は天地を照らす白光のごとく、重大な使命を持って東土に来たのである。
敦煌から、少林へ、面壁趺跏九年。悟るために心を静めているのではなく、意識を集中させて瞑想するために座っているのではない。時が満るまで座っていたのである。今か今かと祖師の言葉を待ち望む人々に、久しく静座しながら「聞きたいという想いは、まだ識りたいという固執があるのでまだ答えることはでできない。」ということを示したのである。
よは幸い正伝正覚を理解し、易筋と洗髄の二巻を得た。洗髄は奥が深く難解である。達成することもむずかしく、後期の境地である。その姿は隠在しながら顕在して、金属を貫通し石を通過する、。骨髄を旋回しながら脱して、虚していながらも活発、集まっては形を成し、散っては風となりる。
易筋はその義は浅く理解しやすい。築基の初めに必ず易筋の境地を求める。
よは、すでに易筋の域に達した。易筋経の原典は少林寺の壁内に陰蔵されている。縁のある者の目に触れることであろう。洗髄は修業僧が携えて旅に出ていた。祖師の遺志を担い、後世に伝えるためにここに翻訳するものである。  慧可謹序

洗髄経 原文より
総義
私が尋ねると仏は菩提に告げた。易筋功はすでに達成した。
静かな夜、一人になって、他人の邪魔を避けて行いなさい。昼間は雑事に追われる。夕食もすんで、夕暮に明星を見て、部屋に入り灯明の明かりをともす。晩の修業が済んだらふとんに入る。みんなが前後不覚にいびきをたてて寝静まったころを見計らって一人起き上がり、暗やみの中で功を開始する。体を撫でながら今日一日のことを想い、時の立つのは早い、この身は池の魚のように、無常は迅速に到来する。救いはいかにして、修業は何日あればたりるのか。四恩は未だ報われず、四縁は未だ離れず、四智は未だ現われず、三生は未だ帰依していない。法の世界を瞑想してみれば、四生三有、六根、五薀、三途、があり阿修羅はない。六道は分散、二諦には未だ触れず六度が未だ備わっていない。まだまだ光明は見いだせない。いかにして、涅槃を得ることができるのか。かたつむりの大千世界は目の中に須弥山を映していても見ていることにはならない。昏睡状態の夢の中で光明を見失い、広大無辺の苦海で生死をさ迷う。流浪。如来の大慈悲にのっとってこの洗髄を修す。易筋の後、毎晩静かなひととき両眼を軽く閉じ、横一線の光を見る。鼻から密やかに息を吸うとき、腹中は空虚を覚え正に清らかなる気を充たす。月の満ち欠けのように、2つの要素がある静功と停止である。一切は心の働きによる。神を練ってのち虚して静まる。睡魔にまけず、覚醒状態で、夜毎毎日行ずる。空ならば納まる道理、飽食はいけない。以下略


 仏教の悟りへ道として、修業の方便として作られた易筋経でありながら、本来の目的からはなれその保健治療効果のために、健康法としてあるいは静功の準備運動として応用されていく。
関連のある八段錦をみてみますと、
南宗初期に創作され、馬歩を主体とする武八段錦。座式八段錦(十二段錦)と立八段錦を含む優美な文八段錦とに分かれ、少しずつ内容が変化しながら現代まで伝わってくる様子がわかるわけです。八段錦はその口訣から受ける印象も当初から医療気功らしいもので、段ごとにそれぞれの経絡を通し、それぞれの臓器を調整するという、まさに外の動きが内を鍛えるという原則が貫徹されている。形から入り、呼吸を配合して、意念で気を調整するという風に進んでいくが、目的は体を鍛練することにある。中医の陰陽五行説、経絡学説にのっとってつくられたている。


易筋経の架式は、名称、口訣、僧の姿の絵、の三セットが判でおしたように定番になっています。が解釈の違いによってさまざまなものがあるということになるのでしょう。
増演易筋洗髄内功図説によれば、易筋洗髄経 第十六巻 韋駄勁十二勢図説として易筋経の一部として1韋駄献杵第一勢、2韋駄献杵第二勢、3韋駄献杵第三勢、4摘星換斗勢、5倒曳(手へんあり)九牛尾勢、6出爪亮翅勢、7九鬼抜馬刀勢、8三盤落地勢、9青龍探爪勢、10臥虎捕食勢、11折躬勢、12 卓(手へんあり)尾勢という名称順位です。  
清朝の「内功図説」でも全く同じです。
私が増演易筋洗髄内功図説、易筋洗髄経 第十六巻 韋駄勁十二勢図説を読んだ解釈は1韋駄献杵第一勢、2韋駄献杵第二勢、3韋駄献杵第三勢は一つの架式の関連動作を表わした動きで、三個の架式ではないと判断します。韋駄勁十二勢図説全体が一連の動功になっています。
しかし、少林派達磨易筋経十二式 林厚省紹介によれば、1韋駄献杵勢、2横担降魔杵勢、3掌托天門勢となって、静功の架式になっています。
、10餓虎捕食勢、11打躬撃鼓勢、12 卓(手へんあり)尾揺頭勢以外名称は同じで、口訣も同じです。朱修林紹介も林厚省紹介名称口訣は同じですが、姿勢と動作、動きに違いが見られます。
ベ−スボ−ルマガジン社の易筋経の第二組とにている内容です。
これらは「易筋経図勢」に準じているのですが、易筋経図勢を現代語訳している「気功養生大全」では前半は静功後半は動功というふうに静と動を練るようになっています。
「中外衛生要旨 易筋図説功法」では12個の架式、5個の架式、5個の架式と順次3グル−プで構成されています。第1グル−プの12個の架式では腕と手の位置が架式毎に11通り変化して、両手を握ってはゆるめ動作が大部分、49回ずつ緊張弛緩を繰り返す。ベ−スボ−ルマガジン社の易筋経の第三組がこれにあたります。
後の2個のグル−プは少林派達磨易筋経十二式ににていますが、名称は書かれていません。ただし動功部分はありません。

ベ−スボ−ルマガジン社の易筋経の第一組は増演易筋洗髄内功図説の正身図二十七勢、側身図八勢、半身図二十七勢、屈身図八勢、十二大勁図式などの組の中ににたものがありますが、名称を変えているのではっきりわかりません。
増演易筋洗髄内功図説のような図入り解説があるので、この中からいくらでも組み合わせたものができるわけです。
前回紹介した楊潤華の達磨老祖洗髄易筋経では、行気伸筋式、上托下按式、旋転乾坤式、弓歩挙臂、転体晃海式などという名称ですべて動功の一部だけの内容です。

小周天との関係について、「易筋経 内壮論」に久練内壮の意味として、入静内守、積気充身、気随意行、内壮外強。とあります。 
「中国推拿練功学」で推奨する易筋経は前半の毎1架式を20分から30分静止してやるようになっています。
久しく練功していけば、必然的に小周天に達するものと思われます。小周天にも豊富な内容があり、
この場合の小周天は意念を用いるのではない、少林内勁一指禅に出てくるような経絡重視の周天、ではないかと思います。少林内勁一指禅では帯脈の起動ということを強調していますが、増演易筋洗髄内功図説では天地人の三才通気という表現を使い、正身図二十七勢にある三才通気十四勢の中で「三焦通達から全身の主要穴位に気が通る。ここに至って泥丸から、尾閭まで気が貫き、全身の脈網を気が循環する。正身図説中妙法であるから、学ぶものは決しておろそかにしてはならない。」この部分は動功です。
ただ表裏一体であったはずの易筋と洗髄を切り離して易筋だけで考えた場合はまた違った見方もでてくると思います。