今日の気功流行の基礎を築いた先人たち

 蒋維喬と小周天

 




 小周天の中国での普及に貢献した人の一人に蒋維喬(1873−1958)があります。幼い頃から病弱で医薬でも効果がなく、父母は長生きはできぬ子だと考えておりました。18歳のとき、偶然読んだ「医方集解」の中に道家小周天功法を見つけ、熱心に練功した結果弱かった体質が強くなり変わってきました。

 二十二歳で結婚してから、健康になったので練功を止めて養生せずにいたため、、また再発して、肺結核、胃腸潰瘍になり、病状は日に日に悪化してきました。他に方法がありません。決心して85日苦練して、ついに任脈督脈が通り病気も治癒できた。その後は、生涯静座功夫の研究を続けた。

 青年時代日本に留学し当時流行していた岡田式静座法と藤田霊斎の心身調和法、強健秘訣を知り、両氏が考案したと言っていることに刺激を受けた。

「岡田、藤田、両氏の静座法は徒弟数万人といわれている。著作は数十回版を重ねている。私はその本を手にして驚いた。神秘的色彩を取り去り、科学哲学に沿って書かれているが、その内容は我が中国の古典のいうところと寸分のちがいがない。まだ我々のなし得なかった伝統を現代に活かすということがなのだ。

 わが国では優れたものを知っていてもしまいこんでみんなに役立てようとしていない。これからは公開して共同の財産として研究すべきなのだ。

 当時中国では「気功」の価値が認められてなく迷信視され、古代から受け継がれてきた文献もゴミ同然に扱われていました。文献著作のなかの貴重な理論は難解で、一般の人には理解できるように書かれたものもなかった。陰陽五行説、易理論を含んだ丹学は神秘的なものとして、民間に広まらず日の目を見てはいなかった。

 そこで、蒋維喬は1914年42歳のとき志をたて、今日有名な「因是子静座法」を出版した。わかりやすい静座法の原理を紹介、静座法が日本人の発明ではないことを証明した。以後教育者としての仕事に終止符を打ち、静座法の研究と指導に没頭し、仏教、チベット密教に出会い新境地を開きつぎつぎと本を著作した。

 因是子は蒋維喬の別名です。少年時代から道学に親しみ号を持っていた。当時はまだ気功という言葉は使われていない。仏家の禅定の意味で使われていた静座をわかりやすいのでとりいれた。

 そもそも、気功という言葉は晋代に道士の書いた著の中に出てくるが、明確な定義ずけはされてはなかった。1954年に劉貴珍 等が内養静座功に気功という名称をつけ、「気功療法実践」を著して世に問うたのが始まりである。だからこの当時は気功という名前はなかったのである。

「因是子静座法」は版を重ね数万部に達し、気功を現代によみがえらせれきっかけになったのである。

 藤田、岡田、蒋維喬 三氏の静座法を比較してみるとなかなか興味深い。姿勢(調身)呼吸(調息)意念(調心)とそろってはいても、いろいろの要素が入っている。日本側に正座に対して、盤座とか。正呼吸は逆腹式呼吸のことであるとか。

 因是子静座法の中で小周天に関しては、腹内の振動という言葉であらわしています。1、静座の日を重ねると臍の下の腹部に一種の振動現象が起きる。
2、振動の前十数日まず臍下に一個の熱力がいったりきたりする。
というように、現代にもわかる言葉で説明しています。

蒋維喬の日課は
 静座を始めた当初は、朝三時から四時に起きベッドの上で1、2時間座る。夜が明けたら洗面、軽い朝食をとり云々。

物語風に描くと、
 蒋維喬は目覚ましが鳴ると、むっくりと起き上がり足を組んだ。まだ夜明けまでには2時間はたっぷりある。窓の外は真っ暗である。練功のために別室にしているため、家族の寝息も聞こえてはこない。軽く閉じた目蓋が眠気を誘う。背骨をぐっと伸ばして呼吸に意識を集中させる。すると呼吸に合わせて体がふくらんだり、ちじんだりするように感じた。正呼吸に変えてみる。息を吸いながら丹田の気を持ち上げるようにして、息を吐きながら丹田の気を下に押しつけるようにする。

 しかし、意識的に気を動かそうとしてはいけない。あくまでも自然に、まかせて自然にである。

 今日は特別眠かった、春めいた気候のせいかも知れない。窓から差し込む光が部屋を包み始めた。しびれた足をゆっくりとくと、線香に火をつける。煙が朝日のなかでまっすぐたちのぼる、今日もおだやかな日だ。

 顔を洗う水もだいぶゆるんできた。タオルを頸にまいたまま両腕をまわし、伸びをする。おかゆをあたためて、ザ−サイを上にのせる。ゆっくりと口に運んだ。

 太陽に向かって歩き始める。新鮮な朝の空気がすがすがしい。城山に登り犬の散歩の人を見た。

 部屋に戻り休息、老子荘子の書をひろげる。10時からまた座る。12時に昼食。

 午後は室内で軽く体を動かしたあと、音楽をたしなむ。夕食前、就寝前に座り10時に寝る。

 3月の初めに開始して、5月の末になり、散歩を長時間しても疲れることもなくなった。静座中は丹田部が熱く感じて、その固まりが動き回るようになってきていた。

 ある朝いつものように座ると、しばらくして熱の固まりと同調するようにしていきなり丹田が振動を始めた。驚きながらも自然に任せる。体も動きだすがくが、盤座はくずさないでいるとしばらくして熱のかたまりが尾閭関を開くのがわかった。
静座を始めてから85日目のことである。それから6日目には振動は次第にうすれて消えたが、それからは座る度に熱のかたまりが背骨を上昇するのを感じるようになった。
病状は回復に向かい、蝉の声を聞く頃には連続3時間座るようになった。
しかし、歳がかわると、生活の問題もあり静座三昧というわけにはいかなくなり、1日に朝夕の2回座るという日課になった。
 
 3月末ちょうど1年を経過したある朝、静座中に再び振動がおこった。
同時に熱のかたまりは尾閭におり、背骨から後頭部、道家でいう玉枕関に達した。振動は3日続き、後頭部に痛みを感じた。このときも少しも動揺せず、自然に任せた。ああこれが2度目の振動である。この熱の固まりは回転しながら頭の中に達するようになり、また振動も現われなくなった。

 さらに半年の後、3度目の振動が起こった。このとき熱のかたまりは、尾閭、背骨、後頭部から頭頂へさらに顔面部を下降して胸から臍、丹田に入ったのである。